「わざわざなんで」という情熱

本城直季の写真と出会ったのは、とある月刊誌
雑誌の見開き2ページにどーんと
空の上から見た真清田神社が載っていた

マイ・ファースト・インプレッションは
「ん?ジオラマ?」

しかしジオラマにしては、なんかオカシイ...変だ
神社の周りはびっしりとビルが詰め込まれている市街地
それらの建物は到底、模型には見えなかった

もうかつきち、写真を隅から隅まで夢中になって舐め回す^^
そして結論
「これ、実際の空撮写真だー!!Σ(・ω・ノ)ノ! びっくりっ!」

そして思う「またなんで、わざわざそんなことを...(*「´・ェ・`)?」

例えば料理人が捕れたてピチピチきときとの魚を市場から手に入れた
そして熟練の技を駆使して、素材にぴったりと合った調理を施す
んで、客の前に供された一皿の上には
どっからどうみても、樹脂で作られた食品サンプルにしか見えない刺し身だった...

空撮写真はそれだけで「お、いいんじゃない^^」という反応を客から引き出せる
それを”わざわざ”手間暇かけてジオラマ風にしてしまう

普通、誰もそんなこと考え付かない、たとえ考えついたとしても実行しない
それを彼はやってしまった
ココがかつきちの嫉妬ポイントしょの1^^b

そして実行に移すにしても、そういう写真を撮るための技術の研究、機材の開発
空を飛ぶか高いところに行って写す対象を探す...
1枚の写真にも膨大な時間と金がかかっている
しかし彼はそれを可能にするだけの飽くなき情熱があった
半分呆れつつ、ここがかつきちの嫉妬ポイントしょの2^^b

また彼の写真は「人間の”世界”という認識」に関して
哲学的、スピリチュアル的な考察のきっかけを与えている
そんな壮大なテーマを提供する、彼のアーティストとしての魂
これがかつきちの嫉妬ポイントしょの3^^b

まぁ、ありていに言うならば
チクショー!やられたー!ぜってーかなわねー!\(*`∧´)/ ムッキー!!
てヤツだな^▽^

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ハーモニー

最近のマサトさんの記事に
ハーモニー=プレアデス
ってのが出てきた

フォルクローレにも言及が!^^/

これ、かつきちにはすごくよく分かったの
まさかフォルクローレと
マサトさんの言う「分離と統合」がここで出会うとは思わなかった

もしよかったら最初の1分だけでも聞き比べみて^^
(長いからね^^;)

↓まずはこっち
ビフォア

↓そしてこっち
アフター

「ビフォア」はおそらくだけれども
スペイン人に侵略される前の古い古い形態を残している

「アフター」はここ2,30年でフォルクローレの主流となっている形態

大きな違いとして弦楽器のあるなしってのもあるけど
ハーモニーのあるなしもしっかり分かる

フォルクローレではサンポーニャというパンパイプのような楽器を使います
今は一人のアーティストが一つのメロディーを吹き奏でますが
本来は二人一組だそうです
一つのメロディーを二人の奏者が、一音一音、交代交代に音を出して
曲を紡ぎ出していきます
マサトさんの言う「統合」に近い形態かもしれない
ボクは今、「イマタチ」というカタカムナ用語を思い出した

フォルクローレにハーモニーが入ってきたのは
カトリック教会の存在が大きい

そしてそして、今ボクが気になっていること
日本の古典芸能、能、狂言、浄瑠璃、小唄、長唄、端唄
ここにはハーモニーってあるんだろうか(?_?)

かつきち、イラン映画を見るの巻

M2さんにDVDを借りた(ありがとー!^^/)

「運動靴と赤い金魚」というイランの映画

あらすじは
「少年アリは直したばかりの妹ザーラの靴をうっかり失くしてしまう。
家が貧しいために親にも言えず、アリの一足しかない運動靴を
ふたりで交代に履いて学校に行かなくてはならなくなる。
ある日小学校のマラソン大会が行われることになった。
3等の商品は靴。アリは妹のために靴を手に入れようと出場を決意する。
いよいよマラソン大会当日、アリは3等になろうと必死に走るのだった。」
というもの

冒頭、職人が修理しているピンク色の靴のドアップ
職人の打ち掛けはボロボロ
カメラが引いて職人と男の子の姿
男の子は修理代を払って、黒いビニールに靴を入れて出て行く

おそらくテヘランの旧市街だろうと思われる
びっしりと石造りの建物に囲まれた古い狭い路地を抜けて
少年アリは八百屋でジャガイモを買う
その間にくず屋に修理したばかりの靴を持って行かれてしまう

最初の数シーンで、少年アリと妹ザーラが貧しい環境に置かれていることが
はっきり分かる
家は集合住宅で、中庭に池と共同の水道がある
二人の親父とお袋のいざこざもあって、アリは靴をなくしたことを言い出せない

そして二人はアリの運動靴を交代で履いて通うはめとなる
ここら辺、日本人には分かりづらいが
イランの学校は学年で時間差を設けているらしい

先に妹が学校に行って、授業が終わるとダッシュで兄が待つ路地裏へ
急いで履き物を交換して、今度は兄がダッシュで学校へ向かう

それでも最初は遅刻を繰り返してしまい、あわや退学か...
というところで、助け船が入ったり

なくしたピンクの靴を履いている少女が出てきたり
親父がはじめた庭師の仕事がさんざんな結果に終わったりと
いろいろなエピソードを経て
クライマックスのマラソン大会へ

アリは3等(運動靴が商品)を目指して駆け出すが、結果は...
(ネタバレせんとこ^^;)

最後、家に帰ってきたアリが共同水道で洗い物をしているザーラと対面する
何も言えないアリ
無言で返すザーラ

しかし、その直前のシーンで、買い物をしている親父の自転車の荷台には
真新しい二足の靴が映し出されていた...

黙って靴を脱ぎ、マラソンで痛めた足を池に浸すアリ
池で飼われている赤い金魚が足の傷を癒すところで映画が終わる



昔、小学生の頃、よく巡回してくる映画を思い出させてくるような映画でした
あと兄妹と運動靴というと「北の国から」のワンシーンが出てきてしまったり^^;

イラン人の特徴か、子供でも彫りが深くてハンサム、かわいい^^
と思っていたら、主人公のアリはホントに貧民街で暮らしていた男の子らしい
彼が窮地に陥ってポロポロと流す涙のなんと透明できれいなことか
お国柄(宗教柄か)で女の子はじめ女性はみんなスカーフをかぶっている
この点いろいろ意見はあると思うけど、学校のシーンで大勢の女の子が
白いスカーフをかぶっている光景は、妖精たちのようだと思った

それからテヘランって意外と水に恵まれているなぁ、と
砂漠の中ってイメージだから
街中に水飲み場があって、そっから直接水を飲む
水道から直で水を飲むシーンも多かった
それに雨が降るシーンも何度かあった

途中のエピソードで、親父が庭師をはじめようと
アリを連れて旧市街から新市街へ行くシーン
古い石造の旧市街と、高層ビル高速道路が建設されている新市街の対比には
目を瞠らされるモノがあった
そして劇中お屋敷街と呼ばれていた高級住宅地

あれ?イランってこんなに貧富の差があったの!と意外だった
宗教独裁で富裕層が押さえ込まれていると思ってたので

ともあれ、映画はハッピーエンドをなんとなーく匂わせて終わります
こういう終わり方は、かつきち好きだなぁと思いました

はじめて、ケーナの音を聴いたのは

やっぱ、かつきちの世代的に、これかな^^

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=e7aS9zVrMs0

ほかにも、ドキュメンタリー番組がたくさんあったので
そこで聴いている可能性もある

って、いまYoutubeで「知られざる世界」「驚異の世界」を検索したけど出てこない(?_?)
オープニングでポンチョを着たインディオがチャランゴを奏でていたはずなんだけど...

もしかしてパラレル移動しちまったか^^;

フォルクローレを聴いて、縄文を語る

かつきちは南米のフォルクローレが大好きです
はまるきっかけとなったのは「素焼きの瓶」という曲
エクアドルの民謡です

素焼きの瓶
(スペイン語とケチュア語(?)で歌ってます
ケチュア語のバージョンははじめて知った^^;)

歌詞はこんな感じ


1.

Yo quiero que a mí me entierren
Como a mis antepasados

私が死んだら葬って欲しい
先祖と同じように

En el vientre oscuro y fresco
De una vasija de barro

暗くて涼しい素焼きの瓶の腹の中に

Cuando la vida se pierda
Detras de una cortina de años

年月のカーテンの向こうに私が隠れるとき

Vivirán a flor de tiempo
Los amores y desengaños

愛も幻滅も時の花の上に浮かび上がる


2.

Arcilla cocida y dura
Alma de verdes collados

焼いた固い粘土は緑の丘の魂

Sangre y sueños de mis gentes
Sol de mis antepasados

人々の血と夢、先祖の太陽

De ti nací y aquí vuelvo
Arcilla vaso de barro

私はお前から生まれ、そして還る
素焼きの瓶よ

Con mi muerte yazgo en ti
Vuelvo a tu polvo enamorado

私の死と共にお前に還る
愛の塵へと還る


素焼きの瓶は棺桶のことだそうです

「土から生まれて、土に還っていく」という死生観
日本人にとってもすごくしっくりくるものだと思う

いや、日本人だけでなく、人類が普遍的に
持っている、持っていた死生観じゃなかろうか

この曲を聴いていると
カタカムナで言う「カミ(のカミのカミのカミの...)」
(”川上”などの言葉で使う”カミ”のイメージね)
を思い起こされてしまいます

縄文人もそういう死生観を持っていたに違いない、きっと
かつきちはこの曲を「縄文のテーマ」と呼びたくなってくる

そしてエクアドルのフォルクローレを聴きながら
思いは縄文人へと飛んでいく

縄文人はどーやって、土器を生み出したんだろう?
いろんな土から粘土をより分けて、水でこねて乾かして
尋常じゃない熱を加えたら、器が出来上がる

これ、たった一人の人間が思いつきでやれることではないと、かつきちは思う
膨大な数の試行錯誤、幾世代にも渡る「あーしてみたら、こーしてみたら」の集積だと

土器だけではなくて、「縄文のポシェット」もあるし
縄文のポシェット
自然の中にあるものから、紐を作り出し(その代表は麻糸)
さらにそれを「編む」という、最初の人はどうやってそれを考え付いたのか
蜘蛛の巣見たって、ポシェットは編めないぞ、絶対^^
鳥の巣だったら...いや、ポシェットまでは行き着かないだろう

そして、漆を使うことを知っていた
縄文の漆
なんでそんな手間隙かかることを...(略)

真珠、ヒスイ、黒曜石
はるか海を越えてモノのやり取り、貿易を行っていた
海の向こうに陸地がある、人がいる
それが「分かる」人がいたんだろうな、やっぱし

ある研究者によると、縄文人は現代人が考えるより
はるかに頻繁に太平洋を行き来していたらしいので
フォルクローレから縄文に思いを馳せるのも「アリ」かな、と